シロノセカイ

◆登場人物紹介◆
音無 月子(おとなし つきこ)
本作の主人公。どことなく無気力。友達少ない残念系な中学二年生。

奏 雫(かなで しずく)
右目が見えない視覚障害者で、別の町から引っ越しをしてきた。内向的でおとなしい。


月子の友達。言いたいことははっきり言う直情型。

香苗
月子の友達。思いやりがあるいいこ。影が薄いのが玉に瑕





―― 私は、いったい何をしているのだろう。
何もない中学生活。
いつもどおり朝起きて、いつもどおり制服に袖を通し、いつもどおりお母さんが作ってくれた朝ごはんを食べる。
そしていつもどおり学校指定のカバンを手に取り、そしていつもどおり学校へ向かう。
通学路ではいつもどおり私と目的地を同じにする同士、いわゆるクラスメートたちと合流し、いつもどおり他愛のない会話をしながら学校へ向かう。
そんななにもない毎日。
そんな代わり映えのない日々。
私は、いったい何をしているのだろう。

「―― おはよー……」
いつものように気怠い体を引き摺るように学校へ向かい、いつものように教室のドアを開ける。
すると、待ってましたと言わんばかりに二人組の女子がこちらに視線を送る。
「お。つっきーおっはー」
「今日は珍しく早いじゃん?転校生が気になった?」
そう言って話しかけてきたのは、私の唯一とも言える友だちの愛と香苗。
軽い口調で挨拶をしてきたのが愛。そしてもう一人が香苗。
つっきーというのは私の愛称で、愛がいつしか勝手にそう呼び出した。
私自身、愛称というもので呼ばれたことがなかったから、最初こそ抵抗があったものの今ではすっかり慣れてしまった。
最も、この愛称で呼んでくるのは愛ひとりだけなのだけど。
「転校生……?」
愛のセリフに一呼吸分間を置いて反応する。
すると愛は拍子抜けしたような顔で言葉を続けてきた。
「何?あんた昨日先生が言ってたのもう忘れたの?」
「今日転校生来るって話。どういう子が来るのか楽しみだねぇ♪」
「……あ、そういえばそんなことも言ってたっけ……」
「ほんと、つっきーは忘れっぽいね」
「あはは……」
どうやら今日は転校生が来るようだ。
そういえば昨日の朝のHRでそんなことを言っていたことをおぼろげながら思い出した。
あまり聞いてなかったからなのか。
それとも半分以上どうでもいいことだと無意識に判断をしていたのか。
そのうちのどちらなのかは分からないが、別段どちらでも構わない。
だいたい私に直接関係のある話でもないし……。
「―― っきー…」
「つっきー!」
「……っ!あ、う、うん?なに?」
「何?じゃないよ。あんた、ほんっとーにぼーっとすること多いよねぇ」
「あはは……ごめんごめん、で、まだ何かあるの?」
「何かあるの?じゃないって。今日あんたと私で日直でしょうが。ほらさっさと職員室行くよ」
「……あ、忘れてた……」
私のこの一言に、今日の日直の相方はがっくりと肩を落とす。
「もういいよ……」



始業ベルが授業開始の合図を奏でる。
多分、私の中でも一位、二位を争うくらい嫌いな音色だと自覚している。
別に勉強ができないからツライとかそういうわけじゃない。
むしろ自分でいうのもなんだけど、勉強にはある程度自信がある。
ツライのは授業内容ではなく、授業そのものだ。
何が悲しくて約一時間も座りっぱなしで拘束されていなければならないのか。
小学校の中学年くらいからの疑問を今更ながら引っ張り出し、先生にその質問をぶつけてやりたいくらいだ。
「あー……つっきーがまたグロッキーになってる」
「うるさいわね……愛が授業好きとか信じられないわよ」
「そう?だってラクじゃん。基本的に聞いてるだけだし〜」
「聞いてるだけって……ちゃんと内容聞いてる?」
「うん?あはは、聞いてる聞いてるって♪」
「その安直な返答に不安を隠せないわ……」
「はぁ……それだからいつも成績最下位なんでしょ?愛は……」
「ぬぐっ……」
「愛はそろそろ真面目に授業に取り組むべきね。うん」
「それには賛成だわ。いい加減テストが近くなるたびに泣き付かれるとこっちがまいっちゃうし」
「ふたりとも酷いっ!私そんなにおバカじゃありませんっ」
「はいはい」
まるで芸人のようなオーバーリアクションをする愛を尻目にため息をついていると、ガラガラと教室のドアが開き先生が入ってくる。
心なしか、いつもより緊張……というか興奮しているような気もする。
あれか。転校生が来てるからテンションが上っちゃったみたいな、そんな感じか。
いい年して子供じゃあるまいし、と思いつつ私自身もどんな人が転校してくるのか、若干気にはなっていた。
ま、愛や香苗の前では顔にも口にも出さないのだけど。
「ほーい、んじゃホームルーム始めるぞ〜」
意気揚々と軽い口調でホームルーム開始を宣言するこの先生が、私たちの担任である国語の先生の岸谷先生。
教師という職業をまさに絵に描いたような先生で、礼節に厳しく教育というものに人一倍うるさい。
それだけでなく、やる時はやる、やらない時はやらないとメリハリがついていて生徒からの信頼は厚い。
岸谷先生自体も気さくで温和で、他の先生との仲も良いらしい。
ただこういう人ほど怒る時は怖いというのがお約束だ。
私自体は怒られたことはないけれど、以前愛が怒られたことがありそれに付き添いに行った私のほうが泣きそうになったというエピソードがあった。
怒られた張本人は号泣して暫く立ち上がれず、お説教部屋から出ることすらできなかったけど。
「さてさて、昨日の朝話した通り今日からこのクラスにお友達が一人増えるからな、みんな仲良くしてやってくれよ〜」
「……仲良くって……小学生じゃあるまいし」
満面の笑顔で転校生の存在を知らせる先生。
転校生ひとりがそんなに嬉しいのかな?と疑問に思うほど、先生は嬉しそうにしている。
「それじゃ入ってきていいぞー」
先生の合図で、恐る恐る教室の扉が開けられる。
先生の手が指す方、前方のドアにクラス中の視線が集まる。
その視線を一心に浴びて教室に入ってきたのは――
「――――」

―― 教室に入ってきたのは、長い黒髪と漆黒の瞳がとても綺麗な、色白の女の子だった ――



先生が黒板に彼女の名前を殴るように素早く書いていく。
そのチョークの軌跡を私は思わず前のめりになりながら追っていった。
「はい。じゃあ自己紹介をお願いします」
「―― あっ……はい……えと……」
恥ずかしいのか、緊張しているのか。
うつむきながら両手でカバンの持ち手をいじりながら深呼吸する転校生。
そして意を決したように視線を私達の方へ向け、ぺこりとお辞儀する。
「は、はじめまして……奏 雫<かなで しずく>といいます……ど、どうぞよろしくお願いします」
お辞儀をしていた頭を上げ、元気よく……とまでは言えない自己紹介をする転校生。
私は、そんな転校生の顔をまじまじと見つめてしまっていた。
別に転校生が珍しいからというわけじゃない。
いや、珍しいといえば珍しいのだけど、それ以外にも私の視線を釘付けにする『特徴』が彼女にはあった。
おそらく視線が釘付けになったのは私だけではないだろう。
何人かのクラスメート、愛や香苗も私と同じように彼女に顔に、いや『瞳』に視線が釘付けになっている。
そう、彼女の右の瞳が漆黒過ぎるのだ。
右目に光が宿っていないと言うべきか。
左目に比べ、その右目は驚くほど暗く黒く、右目だけ見ていると彼女がどこを見ているのかすら分からない。
ぱっと見で、この子は普通の子じゃないことが分かった。
「あ〜〜……こほん。実はな、彼女、生まれつき右目が見えないんだ。だから幾分不自由なこともあると思う。だからみんなで彼女のことを助けてあげるように」
先生も生徒たちが何故静まり返っているのか察したのか、それとも自分の中で台本でも用意していたのか、わざとらしい咳払いをしながら彼女のことを伝えてくる。
その先生の言葉にみんな、言葉を発しないままこくりと首を縦に動かすしかできなかった。
私もみんなと同様軽く頷き、再び彼女の顔に視線を移していった。
「………?」
「……っ」
彼女の顔をまじまじと見すぎてしまったせいか。
ふと彼女が私の方へ視線を移した時に、思いっきり目が合ってしまった。
思わず顔を背けたが、この行動は転校生に対して失礼なのでは?
……とも思ったけれど、やってしまったのは仕方ない。
でも今のではっきり認識したことがひとつある。

彼女は、私の方に肩ごと向いたのだ。

私の席は窓際にある。
そして彼女は教壇にいる。
つまり彼女から見れば、私は彼女の右側にいることになる。
普通の人ならこのくらいの角度であれば肩ごと向くなんて真似しなくても、視線を右に向ければ十分私の姿を捉えることは出来る。
しかし彼女は肩ごとこちらに視線を移した。
それはつまり、右側が完全に見えていないということにほかならない。
「……じゃあ奏の席は……ふむん、音無、お前の左隣って確か空いてるよな?」
「え?あ、はい」
「それじゃあ奏の席はお前の隣で良いよな?」
「え、えぇ……大丈夫ですけど……」
「よし、じゃあ奏、君はあそこだな」
「あ、はい。ありがとうございます」
先生に軽くお辞儀をし、転校生が私の方へと歩み寄ってくる。
「あ、あの……よ、よろしくおねがいします……」
「こちらこそ、宜しく」
若干気まずかったが、とりあえず愛想笑いを振っておいた。
私の特技といえば愛想笑いというくらい、愛想笑いには自信がある。
普通の笑い、いわゆる微笑みというやつはビックリするくらい下手くそなくせに、こういうところだけ得意なのは誰に似たんだろう。
それに、ほかに取り柄がないと言われればそれまでなんだけど。
「きゃっ!?」
「わっ!?」
突然、転校生が前のめりになって私の方へ倒れこんでくる。
私はその転校生の両肩を掴み、彼女の体を受け止める。
その時、彼女の長い黒髪の先端が私の鼻先を撫でた。
ミント系の良い香りが私の鼻孔をくすぐる。
「ご、ごめんなさい……足、ぶつけちゃって……」
「え……?あ、う、うん……大丈夫……?」
「は、はい……すみません……」
体勢を整え、改めて転校生は今後自分の席になるであろう椅子に向かう。
「お、おいおい大丈夫か?」
「あ、はい、大丈夫です、すみません……」
「大丈夫ならいいんだが……」
先生に支えられ、奏さんは静かに席へ座る。
「あー……そうだな。音無、お前場所変われ」
「え?」
突然の先生の要求に理由が理解できず素っ頓狂な返事を返す。
それに呆れるように先生は理由をつなげていく。
「お前の左にいたら、奏もお前も何かと不便だろう?」
「……あ……」
私の左……つまり、転校生から見たら私は右にいることになる。
つまりそれは見えない範囲に私がいることになり、色々教えるのに支障が出る。
先生はつまりそう言いたいのだろう。
「こういう時お前が察し良くて助かるな。よしそうと決まれば入れ替わるとするか」
「あ、あの……ありがとう、ございます……」
「なに、気にすることはない。奏も何かと不便だろうし、このくらいしか出来ないが協力は惜しまない。そうだよな音無?」
念を押すかのように私に同意を求める先生。
こういうのは如何なものだろうかと思いつつ、別に反論する必要もないので首を縦に振る。
「よし、じゃあ無事席も決まったことだし、そろそろ授業に入るぞー」
満足そうに教壇へと戻る先生。
その後姿を確認したあと、転校生がこちらに向き直る。
「あ、あの……これからどうぞ、よろしく……お願いします……」
「……あ、うん。こちらこそ宜しく」

―― こうして『私』と『彼女』の小さな物語は幕を開けた ――



教室の一角、窓際最前列の席に無数の人だかりが出来る。
まるで甘味にたかる蟻の大群のように集まった中心にいるのは、いわずもがな、転校してきたばかりの奏さん。
何をされているのかと思えば、どこの学校でもあるであろう転校生に対して行われるある種の儀式のようなもの。
つまりは質問攻めだ。
例に漏れず、奏さんもこの転校生に行われる儀式――という名の質問攻め――に遭っている。
「この学校はもう見て回った?特に面白いものもなにもないケドさ」
「唯一学食があるくらいだもんね、この学校。あそこはあそこで美味しいからいいけどさ♪」
「クラブ活動とかに興味ない?文芸部で今度出し物やるんだけど、もし良かったら遊びに来てよっ」
「奏さんはどこから来たの?このあたりじゃ見掛けないから遠くから来たのかな?」
「あ、あの……」
「はいはいはい、ストップストップ!そんな一度にいろいろ聞かない!奏さんも困ってるでしょ?」
「え〜だってつっきー転校生だよ?いろいろ聞きたくなるのがふつーでしょーがー」
「ふつーでもいっぺんに聞かれたら困っちゃうでしょうが。ほら、質問があるんならひとりずつになさいな」
「月子、なんだか奏さんの保護者みたいになってるよ♪」
「っ!?そ、そんなんじゃないわよ、ただあんたらが質問攻めにしてるのが気になったから……」
「またまたぁ♪そんな顔真っ赤にしちゃってぇ♪」
「してないわよっ!」
「あははっ……じゃあ、あたしから訊いてもいいかな?」
「あ、は、はい……」
―― こうして、まとまりのない質問大会は休憩時間になるたびに続いた。
絡んでくるのは主に女子が中心で、男子はどのタイミングで話しかけようか様子を伺っているようだった。
しかしそのチャンスは終始男子に訪れることはなく、女子がその権利を占有する格好となっていた。
私も本当であればあれこれと質問をしたり、逆に質問されたりして親睦を深めても良かったのだが、いかんせん、こんな性格である。
自分から話を切り出すということもできず、奏さんは奏さんで他の女子からマシンガンのような質問攻めに遭いとても私と会話をする余裕などなかった。
そんなこんなで結局ろくに会話もできないまま放課後を迎える形となった。

「きりーつ、れーい、ちゃくせーき」
「はい、じゃあ今日の授業はこれにて終了だな。気をつけて帰れよー」
「ん〜〜〜……っはぁ……」
大きく伸びをし、凝り固まった肩をもみほぐす。
やっぱり私は授業が嫌いだ。なんで一時間も座りっぱなしでなければならないのか。
もっとこう、他に良いやり方がなかったものか。
などと文句の一つも言いたくなるくらい今日は疲れた。
「つっきーおつかれー。帰ろっか?」
「おつかれー、そだね、帰ろう……」
そこまで言いかけた時、右隣に座っている彼女に視線が移った。
儚げな表情で貰ったばかりの教科書を鞄にしまっている彼女の横顔を見て、一瞬声を掛けるか否か躊躇いが生じた。
何故躊躇ったのか、自分でも原因はわからないけれど、奏さんの儚げな表情を見ているとどうしても声を掛けづらくなってしまう。
手をこまねいていると、痺れを切らしたのかふいに愛が耳打ちをしてくる。
「今日結局何も会話出来なかったからしたいんでしょ?声かけなよ」
「へ?べ、べつに……そんなんじゃないし……」
「ほんとにぃ?つっきー休み時間とかもめっちゃ気にしてたじゃん」
「き、気にしてなんか……ないわよ……」
「も〜素直じゃないなぁ。じゃあ私が代わりに……」
「い、いいよっ私が声掛けるからっ」
「お。やっと素直になりましたね♪」
「ぬぐっ……」
なんだかうまい具合に愛に誘導されたような気もするが、勢い余って言ってしまった手前、ここで引くのもお門違いというものか。
最初の一言をどう発していいか、頭の中で4〜5回シミュレートし、特に問題無さそうな手順を見つけその最善の選択肢を選ぶことにした。
「あー……あの、奏さん。良ければみんなと一緒に帰らない?」
「え?あ、あの……」
「?」
私のシミュレートでは『いいんですか?ありがとうございます』くらいの返答が来るだろうと踏んでいたが、実際に返ってきた答えは何かを勘ぐっているような、遠慮しているようなものだった。
「わ、私と……?えと……」
「うん、私と、貴女と、ここにいるみんなと一緒に帰ろ?」
「……え、えと……」
もじもじしながら辺りを見回す奏さん。
何やら恥ずかしそうにしているけど、どうしたっていうんだろう。
別段後ろめたいことなどなにも言ってないし、私はただ単に放課後になるまでろくに会話もできなかったからせめてと思って言っているだけなのだが……。
まぁ後ろめたいといえば、愛にせっつかれて仕方なく――というわけではないが、結果的にそうなってしまっている――声を掛けたことになるのだけれど。
そんなことを考えていると、奏さんがこちらを見つめながら恐る恐る口を開く。
「……あ、あの、わ、私と一緒に……帰ってくれるんですか……?」
「?うん、折角だし、いろいろ話も聞きたいしね」
「あ、ありがとう……そ、それじゃあお言葉に甘えて……」
「うん、それじゃ帰ろ」
「う、うん……」


―― 奏さん、か……。
なんだか静かな子、というか暗い感じの子だったな……。
まだ初日だし緊張してるってのもあるんだろうけど、それとはまたちょっと違った暗さというか……。
夜、自分の部屋で悶々と奏さんのことを、かれこれもう30分近く考えている
私も人のことは言えないけれど、あの子も私に負けず劣らず暗い印象を持った。
性格なんて人それぞれで、それこそ私がどうこう考えても仕方ないことだとは思うけど、それを加味してもやはりどうも違った暗さを感じて仕方なかった。
「……」
やっぱり、あの目のことを気にしてるんだろうか。
右側半分が見えないってどういう感じなんだろう。
遠近感が掴めない、とか、物が掴みづらいなどは聞いたことがあるが、実際になったわけじゃないからどうも感覚がわからない。
「……どれ……」
試しに自分の右手で自分の右目を覆ってみる。
……。
……。
……うん、確かにこれでは視界が遮られて不便だ。
手で覆っただけで視界が半分になって、右側がほぼ見えなくなる。
今、私の右側に人が立っていたとしてもこの状態じゃ気付くことは難しいだろう。
これが手じゃなくて眼帯とか、視力検査の時に使うあのプラスチックのやつ(名称不明)を使えばさらに見えなくなるだろう。
そんな状態を、奏さんは生まれた時から強いられてきたのか。
それじゃ確かにいろいろなことに怯えたりするのも無理は無い、か。
「……とはいってもなぁ」
―― とはいっても、所詮他人は他人。
赤の他人である私に、奏さんの気持ちは理解できないし、しようとも思わない。
あくまでただの友達。あくまでただのクラスメート。それだけ。
生まれつき障害がある人は町中にもいるし、私も小学校の時、親戚の叔母が身体障害を持っていてそれのボランティアで手伝いをしたこともある。
ここで私の叔母というのを紹介すると、私の叔母は身体障害者の中でも特に重度だと言われている『一級障害』というものに区分されていた。
全身が麻痺したように固まってしまい、自分では立つことすらままならない。
車椅子をなんとか自力で少しずつ動かせる、本当にそのレベルの重症患者だった。
その叔母もつい先月、病気を悪化させて亡くなってしまった。
もともと大好きだった叔母だけに、表面上は努めて冷静にしていたものの、内心では相当に泣き崩れていた。
最近ようやくそのショックから立ち直ったと思ったら、また身近に障害を持った人が現れた。
運命のいたずらというかなんというか……。
でも、叔母の時とは違い、奏さんは赤の他人だ。
クラスメート以上でも以下でもない。
それに、こんな比較は当人にとって失礼だけれど……叔母に比べれば奏さんの障害はそこまで酷いものではない。
だから同情はするけれど、ただそれだけだ。
なのに……。
「……なんで、あの子の顔が頭から離れないんだろう……」

――


「おはよー……」
「あ、つっきーおはよー」
「あ、お、おはよう……ございます……」
「奏さんもおはよう、学校来るの早いんだね?」
「え?あ、は、はい……前の学校からのクセでして……」
「前の学校は始業早かったの?」
「い、いえ……普通の時間ですけど……」
「ふーん、じゃあ早く来て予習とかしてたんだ?私には真似できないなぁ」
「あ……そういう……わけでもないんですけどね……」
「?」
『じゃあどうして?』と聞こうとした時、タイミングよく始業ベルが鳴る。
「あ、鳴っちゃった。まぁいいや、じゃまたあとで話そ」
「あ、は、はい……」

――


今日の日直は私と奏さんだった。
私は昨日も日直だったから担任にクレームを入れたのだが、担任曰く、『奏に一日でも早くここの日直システムを覚えて欲しいからな!』というよく分からない理屈で押し通されてしまった。
そのため今は教室に二人で残り、もろもろ日直の仕事をこなしている。
もちろん奏さんは初めての日直作業だから勝手が分からないため、いろいろ教えながらだけど。
日直の仕事を教えながら、奏さんのことをさまざま聴いた。
生まれつき右目が見えないこと。
そのことがコンプレックスになっていること。
右目が原因で誰かに迷惑をかけてしまうのではないかという恐怖。
そして、右目のことでイジメを受けていたこと……。
まだ会って二日しか経っていないというのに、彼女は赤裸々に自分のことを話してくれた。
イジメを受けていた時の後遺症か、話し方にどもりがあり、なかなか自分の言葉を紡げないでいたが、それでも彼女は必死に自分のことを私に知ってほしいかのように話していた。
なぜ彼女が急にこんなに積極的に、それもまだ気心の知れていない私に話をするのか、その内心まで知る由もない。
けど、私はそれを打ち明けてくれたことを心の底で嬉しいと思っていた。
―― もちろん私の性格的にそれを表面上に表すようなことはしなかったけれど。
ひと通り話し終えた彼女は恥ずかしそうに頬を染め、上目遣いに私の反応を伺っているようだった。
女同士だというのに、思わず彼女のこの挙動にドキッとしてしまう自分に軽く嫌悪を抱きながらも、それでも必死になって自分のことを話してくれたことには感謝したくなる。
「ご、ごめんね……急にこんな話聞いても……楽しくなんてないよ……ね……?」
「へ?あ、いや……楽しいか楽しくないかって言われたら……そりゃ、楽しいとは言いがたいけどもさ……」
「…………」
「あ、あぁでも、なんていうか、奏さんがそういう話してくれて嬉しいっていうか、ほらなかなか自分のこと話すのって難しいじゃん?みたいな……」
「……うれしい……?」
「う、嬉しいっていうか、うん……嬉しい……かな……?」
「……ほんとに……?」
「……?」
突然俯きながら肩を震わせ始める奏さん。
と思ったら、ふいに彼女の漆黒の瞳から一筋の涙が頬を伝う。
「……ぐすっ……」
「……え?ちょ、ちょっと……なんでいきなり泣いてるのよ……?」
「……ぐすっ……ご、ごめんなさい……こんな私でも……人を喜ばせることができるんだって思って……えぐっ……」
「……奏さん……」
「……だから、嬉しくて……ごめんなさい……えへへ……ちょっと、変だよね、私……」
鼻を真っ赤にし、溢れ出る大粒の涙を拭いながら精一杯の笑顔を見せる。
「――――」


―― その笑顔に、この子の全てが詰まっているように感じた ――

――

―― それからというもの、私と奏さん……いや、いつしか私は彼女を苗字ではなく下の名前、『雫』と呼ぶようになっていた。
雫もまた、私のことを苗字ではなく、『月子ちゃん』と呼ぶようになっていた。
ちゃん付けで呼ばれることに慣れていないせいか、呼ばれたときは全身が総毛立つほどくすぐったかったけれど、今ではやっと慣れてきた。
放課後も暇を見つけては雫と帰り、下校後も一緒に遊ぶようになっていった。
ふたりで洋服を見に行ったりケーキバイキングに行ったり、時には私の家や彼女の家にお邪魔し夕暮れになるまで語り合ったこともあった。
なぜこんなに彼女に惹かれるのかは分からない。
放っておけない、危なっかしいという意味とも違う。
そんな形容しがたい魅力が彼女にはあるのだろう。
そう思っていた。


しかし、とある事件で、私が彼女と一緒にいた本当の理由を、私自身が悟ってしまう。

――


「ぁうっ!?」
教室に置いてある花瓶が棚から落下し、激しい音を立てて割れる。
それと同時に雫が短い悲鳴を上げ突き倒される。
愛が突如、雫を突き倒したのだ。
一瞬何が起こったのか、私含めその場にいる全員が理解するのに時間を要した。
「アンタね、調子こいてるんじゃないよ?つっきーは私たちの友達なの。わかる?アンタ一人のものじゃないんだからね?
それがなに?障害者ぶって月子の気引いちゃってさ。どうせ今まで友達がいなくて寂しかったからって月子に言い寄ってるだけなんじゃないの?」
「……そ、そんな……私……そんなつもりは……」
「うるさいよ!障害者だからって何でも特別扱いされてると思ってるんじゃないよ!」
「ちょ、ちょっと!!あんたたち何やってるの!?」
「あ、つっきー。ちょうどいい所に。今あんたにたかってた虫を駆除してるところなんだよ」
「虫……って。雫のこと!?何言ってるの!?」
「何言ってるも何も、そのまんまの意味じゃん。月子が最近私らとぜーんぜん遊んでくれないから、何やってるのかなと思ったら奏といつもいるじゃない?だから、ちょっとした嫉妬?」
「嫉妬って……雫が怪我したらどうしてくれるの!?こんなに突き飛ばすような真似して……!」
「おーこわ。さすがつっきー。怒るとコワイのは相変わらずですねー」
「茶化してんじゃないわよ!!謝りなさい!今すぐ雫に謝りなさい!」
「謝る?謝るのはあんたと奏でしょ?いつもいつも一緒にいて気が散ってしょうがないんだよね」
「何あんた!?ほんとに嫉妬してんの!?ばっかみたい!」
「バカはそっちでしょ!新しいエモノ見つけたらそっちに移るとか、どこのケダモノよあんたは!」
「はぁ!?エモノ!?ほんとに何言ってんのあんた!?」
「あんたにとってはエモノも同然でしょ!?自分から友達作るのヘタだからって、良いように懐いてきてくれる奏が都合のいいエモノなんじゃないの!?」
「ふざけんじゃないわよ!!あんた、私がそんなふうに見えてたっての!?見損なったよあんたこと!!」
「見損なった?最初から私のことなんか眼中にもなかったくせによく言う!!」
「眼中になかったって……そんなことない!!私はあんたとも仲良く……」
「―― 仲良くで済んでたから私の気が収まらないの!!!」
「気が収まらないって……なにが ――」
「―― 私は、あんたこと好きだったんだから!『仲良く』で済ませたくないの!!」
「―――― っ!」
「―― はっ……と、とにかく……金輪際、私の前で奏と話すのだけはやめて……」
「…………」
「そ、それじゃ私は用事があるから……」
「…………」
それだけ言うと、愛はバツの悪い顔をしたまま教室を去っていった。
その姿を私は呆然としたまま見送る。
その後、後ろから香苗がおそるおそる私と雫の側に寄ってくる。
「……あ、あの……さ。だ、だい……じょうぶ?」
「……えっ……あ、う、うん……私は大丈夫だけど……雫、大丈夫?立てる?」
「あ、う、うん……ありがとう……」
雫を立たせ、スカートに付いた埃を払いのける。
「……雫、ごめんね。私のせいで……」
「そ、そんな……月子ちゃんのせいじゃ……」
「…………」
「…………」
「…………」
居心地の悪い空気が空間を包む。
他のクラスメートも今の騒動を見ていたため、どうやって次の行動をとったらいいのかわからないようになっていた。
実際私たちもどうしたらいいか分からないし、分からないから暫く立ち尽くしてしまっていた。
「……あー……おほん。で、ではここらで面白い小噺をいっちょ……」
「……いいよ、そんなん」
「あ、あらそう……」
「雫、帰ろう?歩ける?」
「う、うん……ありがとう……」
よろけながらも雫の肩を抱き、そのまま教室を出て行く私達二人。
「……私の立場って、ひょっとして、無い?」

――

『バカはそっちでしょ!新しいエモノ見つけたらそっちに移るとか、どこのケダモノよあんたは!』

『あんたにとってはエモノも同然でしょ!?自分から友達作るのヘタだから、良いように懐いてきてくれる奏が都合のいいエモノなんでしょ!?』

――

ケダモノ……エモノ……か。
薄々、もしかしたら……と思っていたけれど、まさかあんな形ではっきり言われるなんてね……。
確かに、昔から私は友だちが少ない。
小学校の時は友だちと遊んだという記憶そのものが無いに等しいくらいだ。
だから叔母の介護が唯一の生きがいだった。
誰かに必要とされたい。
誰かの必要となって自分が今そこにいるという実感を得たかったのかもしれない。
まさか、と思いたかった。
でも実際そうだったのかもしれないと思うと、雫と今こうして二人並んで歩いているのも、もしかしたらそういうことなのかもしれない。
それに加えて雫は片目が見えないという障害を持っている。
生まれた時から障害者を身近に感じていた私にとって、雫<かのじょ>という存在は都合のいい慰め者でしかなかったのかも……。
「―― 月子ちゃん……?」
「―― っ……あ、うん、なに?」
「あ、そ、その……ごめんなさい、私のせいで愛ちゃんとケンカさせちゃって……」
「ん?あぁそんなこと?大丈夫だって、あの子、いつもあんな感じだしさっぱりしてるから明日の朝になれば忘れてるよ♪」
「……だといいんだけど……」
「もう、そんなクヨクヨしない!ほんとにクヨクヨしたいのは私の方なんだからね!」
「……っ……そう、だったね。ごめんね、月子ちゃん……」
「だから謝らなくていいってば、雫の悪い癖だよ?」
「……う、うん……そうだね、ごめん……」
「ほら、いったそばからまた謝ってる」
「……あ……」
「ふふっ……まぁ雫らしいといえば雫らしいけど」
「……えへへ……そうだね……」
「あははは……」
―― そうだ……。雫は、私の慰め者なんかじゃない。
ちゃんとした、私の友達、親友だ……。
もし、心の底からそう思えていないのであれば、これから先、そう思えるように努力をしていこう。
それが雫へのほんとうの意味での思いやりということになるのだろう。
「……あの、月子ちゃん、お願いがあるんだけど……」
「……ん?なに?改まっちゃって……」
「あ、あのね……できれば私の左側を歩いてほしいな……なんて……」
「……雫の左側……?」
「……うん……」
今日まで、出来る限り雫の右側を歩くように努めていた。
彼女は右側がほぼ全て死角だ。
その死角からいつ何時危険が襲ってくるか分からない。
もしかしたら子供が体当りしてくるかもしれないし、自転車が突っ込んでくるかもしれない。
そんな危険から雫を守るために、私はなるべく右側を歩くようにしていた。
けれど、彼女はこれからは左側を歩いてほしいと言う。
「……だって、右側に月子ちゃんがいたら、月子ちゃんの顔……見えないんだもの……」
「……っ……」
「私、なるべく沢山月子ちゃんの顔を見ていたいの……だから……」
「……しずく……」
―― 今、わかった。
彼女は、雫は、最初からほんとうの意味で私と友だちになりたがっていたんだ。
なのに私は一人で壁を作って、一定値以上踏み込もうとはしていなかった。
雫の気持ちを踏みにじっていたのは、クラスの連中でも愛でもなくて……。
「…………うん……今度からずっと、そうする……ね……」
―― 雫の気持ちを踏みにじっていたのは、私の方だったんだ……。

――

―― それからというもの、私は今まで以上に雫に対しても、クラスの友達に対しても別け隔てなく接するようになった。
おかげで人付き合いはうまくなったように思えるが、その一方で八方美人だという陰口も叩かれるようになった。
でもそんな細かいことまで気にはしていられない。
だって、隣には雫がいるから。
今までずっと友達がいなく、寂しい思いをしていた彼女に初めて出来た『親友』
それに選んでくれた恩がある。
そんな雫の前でそんな細かいことを気にしていたら、雫に申し訳が立たない。
だから気にしない事にした。
たとえどんな悪口を言われようとも、雫の笑顔だけは守りたい。
そう思えるようになった。
いや、気付かせてもらえたといったほうが正しい。
雫は私にたくさんのことを気付かせてくれた。

友達を想う気持ち。

障害という十字架を背負った人間の気持ち。

確かに、私の叔母も常に明るい人だった。
全身麻痺というとんでもない重病を背負っているにもかかわらず、笑顔や笑いを絶やさず、周囲もそれにつられて明るくなる。
そんな人だった。
でもそんな人でも間違いなく、とてつもない苦労があったはず。
それこそ常人である私には想像もできないような苦労が。
程度の差こそあれ、雫も同じように苦労に苦労を重ねてきたのだろう。
雫の笑顔にはどことなく陰がある。
嫌な陰、というほどでもないが、うっすらと陰鬱な陰が、彼女の笑顔に時折姿を見せることがある。
彼女はその陰鬱な陰をさらにとびきりの笑顔でかき消してしまうのだけど、私はどこかその陰が気になって仕方がなかった。
そして、その陰鬱な陰の正体が判明するまでに、さほど時間は要さなかった ――



「―― 完全失明……?」
「…………」
「……え……ちょ、ちょっとまって……どういうこと……?だって、雫、貴女左目は見えてるんだよね……?」
「今は……ね。まだなんとか……ってところ、かな……」
「まだなんとか……って、それじゃ……」
「……実は、さ。最近ずっと左目が不調だったんだ。最初は疲れてるだけなのかな……なんて思ってたんだけど、行きつけの病院に行ってみたら、そう診断されちゃった……あはは……」
「……な、なに笑ってるのよ……あんた自分のことでしょ?なんで……」
「ほんとはね、ずっと前から知ってたんだ。いずれ完全に見えなくなるって。もって15歳までだって……お医者さんにそう言われてたから……」
「……そんな……じゃあ……」
―― じゃあ……私に左側を歩いてほしいって頼んだのも……。
「もちろん、右側に月子ちゃんが行っちゃうと月子ちゃんの顔が見えにくいっていうのもあるよ?でもそれ以上に、一分でも一秒でも長く月子ちゃんの顔を見ていたかったの……この左目が見えなくなる、その時まで……」
「そん……な……」
「やだな……別に死んじゃうわけじゃないのよ?ただちょっと見えなくなっちゃうだけ……だから、泣かないで?月子ちゃん……」
「……だって……だって、雫……ぐすっ……雫がなんにも見えなくなっちゃったら……それじゃ意味ないじゃん……一緒に映画行ったり、劇見たり、お買い物行って洋服見たりできなくなっちゃう……そんなの……そんなの耐えられないよ……私……」
「月子ちゃん……ありがとう。でもね、私はもう十分月子ちゃんからもらったよ?見える喜びとか、幸せを……」
「―― なんでそんなに冷静なの!?自分のことじゃない!!悲しくないの!?」
「…………」
「雫、貴女を最初見た時から私ずっと思ってたんだよ?私にとってきっと貴女は特別な存在になるって……今まで友達が少なかった私にとって、きっと貴女は特別な人になるって……なのに……こんな……」
「……私も、私も最初見た時からそう思ってた。あぁ、この人の隣になれたのもきっと神様からの最後のプレゼントなんだなって……」
「最後ってなに……?まるで雫が死んじゃうみたいじゃん……」
「あはは……そうだね。それはちょっと違うかな……」
「……ぐすっ……ほんと貴女は落ち着いてるよね……一人で取り乱して、私……馬鹿みたい……」
「……そんなことないよ。私だって最初は取り乱したよ……毎日泣いていじけて……でもね、そんなことしてても変わらないって気づいたの。
いつか目は見えなくなる。だったら見えているときに、思いっきり楽しまないとダメだって……でも、なかなかその一歩が踏み出せなかった」
下を向いて話していた雫が、ふいに上を向いて小さな微笑みを作る。
その微笑みには、今までのような陰鬱な陰は見えなかった。
「けど、月子ちゃんと出会ってから私は変われた。月子ちゃんが私を変えてくれたんだよ……?」
「……しずく……」
「……だから、そんな顔しないで……?見える最後の一瞬まで、笑顔の眩しい月子ちゃんでいて……?」
「……うん……うん……そうだね……そうじゃなきゃ私らしくないよね……」
涙を拭い、目一杯の笑顔を雫に向ける。
雫はその私の笑顔を見て、一杯の笑顔を返してくれる。
「―― ありがとう……月子ちゃん……」

――

「―― つっきー、ちょっと来て」
「……?なに?」
あくる日のお昼休み、ここ最近ずっと口を聞いていなかった愛が突然私の前に来るなり、いぶかしげな面持ちで私を見下ろしていた。
「いいから」
それだけ言うと、愛は先にさっさと教室を出て行ってしまった。
「なんなのよ……雫、ちょっと行ってくるね」
「うん、いってらっしゃい」
雫に断りを入れ、渋々と愛の後を追い教室を出る。

――

廊下へ出ると、愛と香苗が暗い面持ちで立っていた。
二人で綺麗に並んで俯いてる姿はまるで葬式のようで、二人に何かあったことだけは理解る。
それが何なのかまでは理解らないけど……。
「……ほら、愛……」
「……う、うん……」
香苗に後押しされるように、愛が一歩前へ出る。
「え、え?ど、どうしたの……?」
何が何だか分からず、愛と香苗の顔を交互に見やる。
「ごめんね月子。愛がどうしても話したいことがあるっていうから……さ」
「話したいこと……っ……」
その時、愛のあの言葉を思い出してしまった。

――

『―― 私は、あんたこと好きだったんだから!『仲良く』で済ませたくないの!!』

――

まさか、とは思う。
でもあのときの愛の顔は、言葉は、本気だった。
もしかして……こんなところで……?
変な想像が脳裏をよぎる。
いやよぎるどころの話ではなく、脳内を支配している。
私のたくましい妄想力はこの後愛から発せられる言葉はおろか、その後の展開まで容易に想像してしまった。
そのため条件反射的に顔を赤らめつつ、じわりと後退りする。
「―― ごめん」
「……え……?」
愛の口から出てきた言葉は、私のたくましい妄想力の賜物とはまるで違うものだった。
「―― ごめん、つっきー……こないだ私、酷いこと言っちゃってたね……。
あの後頭冷やして冷静になって、自分が何をしたのか、つっきーと奏さんにどんな言葉を浴びせたのか考えてたの」
「……」
「でも、いくら自分を正当化しようとしたってあれは正当化できるような仕打ちじゃないよね……。
私ってこういうとき臆病だから、ちゃんとつっきーたちに謝れなくて……結局ずるずると今日まで来ちゃった。
もしかしたらつっきーはもう、私のことなんてどうだって良いって思ってるのかもしれない……そりゃそうだよね、あんな酷いこと言ったんだもんね……」
「愛……そ、そんな……そんなことない……よ?愛は私の大切な友達だって、こないだも言ったでしょ……?」
「つっきー……」
「それに、あの時は私もカッとなって愛にも酷いこと言っちゃってたし……おあいこだよ、おあいこ」
「……おあいこ、か。へへっ……つっきーってやっぱ、優しいね」
「そ、そんなこと……ないよ。ただ、本当にそう思っただけ」
「本当にそう思ったんなら、それは優しい証拠だよ。うん、私の目に狂いはなかった」
「?それどういう……」
「私の好きな人は、優しい人だったってことだよ」
「っ!」

―― それだけ言うと、愛はいきなり私の額に、軽くキスをした。

「――――」
「じゃまた後でねっ」
手を振って恥ずかしそうに走り去っていく愛。
愛の唇が触れた箇所を指で軽く撫でる。
あまりにも突然の愛の行動に、脳みその処理能力が追いつかない。
でも改めて愛の気持ちが伝わった。それだけは確かだった。
「……あの子ってば……」
―― 放課後にでも、たまには誘って帰ってみよう……かな。
「……うん、やっぱり私の立場って、無いわね。……ま、でも、いっか♪」

――

「あ、月子ちゃんおかえりなさい。何の話をしていたの?」
「へ!?あ、いや、その、なんていうか……」
「…………もしかして、この間のこと……?」
「うっ!」
「やっぱり……またケンカとか……してないよね?大丈夫……だよね?」
心配そうな表情で私の顔を覗き込む雫。
「え、あ、あの……ケンカはしてない……けど……その……なんていうか……」
「………?」
「かーなーでーさん!だぁいじょうぶだよ!月子も愛も仲良しこよしなんだから、ケンカもなにもないって♪」
ケラケラと笑いながら、なんだか重苦しい雰囲気を一蹴する香苗。
「そうだ、折角だし、みんなで放課後にケーキ屋さん寄ってかない?愛も誘ってさ♪」
「……そうだね、そうしようか?雫甘いの好きだよね?」
「う、うん……好きだけど……」
「よーしそうと決まったらレッツゴー♪」
「……いやいや、まだ放課後じゃないっしょ……」
「あ」
香苗の先走りの行動に私含め三人で笑いあった。
なんだかこういうのも久しぶりな気がして……悪い気はしなかった。

――

放課後、約束通りみんなと一緒にケーキ屋に寄り、和気藹々とした雰囲気の中楽しい時を過ごした。
はじめこそ愛と雫はそわそわと落ち着きがないように感じたけれど、それも時間が解消してくれたのか、会話が弾むうちに自然と打ち解けていったようだった。
雫もいつも以上に楽しそうにしていて、なんだかその雫の横顔を見ているだけで私も嬉しくなってしまった。
ただひとつ気になったのは、時折雫が苦しそうに眉間に皺を寄せ、左目の付近に手を添える仕草をしていたことだった。
やはり……『その時』は近い。
彼女の仕草を見るたび、そのことを痛感してならなかった……。

――

「月子ちゃん」
「―― ?」
帰り際、愛と香苗の二人と別れたあと、雫と二人、いつものように並んで歩いているときふいに彼女が私の名を呼び立ち止まった。
「今日はありがとう、とても楽しかった」
「……うん」
「愛ちゃんも香苗ちゃんも月子ちゃんも、みんな楽しそうだったね」
「……うん、そうだね」
「みんなのおかげで楽しく過ごせたよ、ありがとう……」
「 ……雫……?どうしたの?なんかいつもと違うよ……?」
「そんなこと……ないよ。ただ、ちょっとだけ……左目が、ね……」
「……っ……」
それは知っている。いや、嫌でも目に入ってきていた。
雫が険しい表情をして左目を抑えている仕草が。
「……面と向かって、ちゃんと見えるうちにこうやって感謝できるのって、もしかしたらもう無いかもしれないって思ったら、さ……言葉が勝手に出てきちゃった……」
「―― しずく……」

―― 雫の言葉を聞いた瞬間。

「―― つきこ……ちゃん……?」
私は、雫の細い体を強く抱きしめていた ――
「……つ、月子ちゃん……どうしたの……?」
「――――」
―― 今、決めた。
雫の病気はもうどうしようもない。
いくら医療が発達した現代でも、彼女の瞳を治すのは困難を極めるのだろう。
彼女から、もうじき光が失われる。
その時が来た時、私が、彼女の目になる。
彼女が出来なくなったことを私が代わりにやり、彼女に何不自由なく過ごしてもらうこと。
これが私の願いだ。
今後どんな困難が待ち受けようと、雫のことを想えば取るに足らないことだ。

―― 彼女の目となり支えていく。
それは『願い』であり、同時に、私の『生き方』ともなった ――

――

―― 時は流れ、専門学校を卒業した私は、介護ヘルパーに就職。
雫と同じように障害に苦しんでいる人々の手となり足となり、時には目となり働いていく。
それが今の私に出来る精一杯の恩返しだ。
雫と出会う前までは無気力だった私。
雫と出会ってから光を見出した私。
どちらも同じ私だけど、雫と出会う前と後とではまるで違う私。
そんな私に変えてくれた雫に、生涯にわたって恩返しを。
それが、私にできる精一杯の愛情の表現でもあった。

「―― 月子ちゃん、今そこにいる?」
「んー……いるよ。どうしたの?」
「あ、ラジオをつけて欲しくて」
「ラジオね。了解」
雫の要望に応えるためラジオに手を伸ばし電源を入れる。
ラジオからお世辞にもきれいな音とは言えない音声が流れてくる。
このラジオは雫が昔から愛用しているものらしく、既に10年選手だとか。
見てくれは新品のように綺麗だけど、やはりそこは10年選手。
電源を入れた時にノイズが走り、その後やっとラジオの音声がやってくる。
私なんかはノイズは気に入らないものだけど、雫はそのノイズすらも楽しんで聞いているようだった。
「あ、そっか。今日雫が毎週楽しみにしてる番組がやるんだったね」
「うん、このDJさんとてもおしゃべりが上手で、聞いてるだけでワクワクしてくるの。折角だから月子ちゃんも一緒に聞こうよ」
「そだね、たまにはそれも良いかな」
この時間……午後6時台は基本的に食事の準備をしたりお風呂を掃除したりと、ヘルパーの仕事を全うしている。
そのため基本的にラジオに耳を傾けてはいられないのだけど、今日はどうやら雫直々のご要望のようで、彼女にねだられてしまったら要望を受けるしかないわけで。
私は雫の隣に座り、お世辞にもきれいな音とはいえない音声に耳を傾ける。
ラジオからDJの楽しげな声が聞こえてくる。
その声に合わせるように雫は小さく微笑う。
私はそんな雫をじっと見つめる。
雫が完全に光を失って数年。
彼女が笑える日はもう来ないと思い込んでいた。
しかし、今こうして彼女は微笑っている。

彼女は救われているのだろうか。
それは彼女自身にしか分からない。
光を失うことがどれだけのことか、ヘルパーとなった今でも……いや、今だからこそそれまで以上に考えている。
でもいくら考えたところで当事者の心の奥底まで推し量ることは出来ない。
であるならば、私は雫の、この微笑みを守ることに徹しよう。
それで彼女が微笑っていてくれるのなら、私は他にもう何もいらないとすら思う。
光を失うことがどれだけのことか、私には分からない。
だからこそこれまでも、これからも、時に笑い時に泣き、時に喧嘩もし雫と正面から向き合っていきたい。
暗い世界に閉じこもっていた私に光をくれた雫。
黒かった世界を白に染めてくれた雫。
そんな雫が今、とてもとても愛おしく想う。
雫は、私を変えてくれた素敵な友だちだから ――
「……面白かったぁ。どうだった?月子ちゃ ――」


―― 言いかけていた雫の唇に、私の唇を重ねる。

「――――」
「――――」

静かな時間が過ぎていく。
雫は、私の気持ちを理解してくれたのか。
そっと私の手を取り、お互いの気持ちを、心を満たしていった。


「―― 雫は……私の最高の友だちだよ……」
「……うん」


微笑んだ雫に、昔のような陰はもうなかった ――――

FIN



























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